毎週楽しみな作品。
キャラ的にも百合的にも大好きなのだけど。
話の作りがとにかく好み!!☆
…なのだけど、やっぱりマナのことが気になる。
・・・良くない意味で。
マナはたくさんの人助けをして
そんなマナを六花は“幸せの王子“と呼ぶけれど…
マナの人助けは…なんだか浅いと思う。
人助けをとても凄いこと、誰もができるようなことじゃない!みたいに言う人いるけど、
実際はどうなんだろう
…“無償の愛“について勘違いしてる人ってすごく多いと思う。
よく「ご褒美なんていらない、その人の笑顔が見れたら幸せ」
とか
「感謝の気持ちがいただければ物などなくても十分です」
とか
「人助けをするといい心が豊かになるんです」
とか言う人っているけどそれは“無償の愛“では断じて無いです
今話した3人って明らかに報酬を得てるんです
相手の笑顔も、感謝の気持ちも明らかに報酬なんです。
自分の心が豊かになるというのも他人から与えられてないからといって報酬にはかわりがないんです。
マナはそういうった報酬を求めている訳ではないのでそこは評価するのだけど…
結局、こういった“物理的に与えられる必要のない報酬“を求めてのものを含めれば
それどころかマナのようにただ、ただ相手のために体や心が動いてしまうのであっても…
たいていの人は人助けがしたいんです。
誰かのために手を足を心を尽くし、
誰かの役に立ちたいんです。
みんな…そうでしょう…?
ならなぜマナのように皆が人助けにこうじることができないのか、
答えは明確です。
“人助け“という行為をするのは、ごく一部の
“許された人間“にしか許されてはいないのです。
夢や目標のためのたゆまぬ努力が夢や目標に該当する物にしかともなわない人と同じですね。
これらのいわゆる“人から認められ、尊敬される徳“は…中には血の滲む努力と絶え間無い屈辱恥辱の果てに勝ち得る人もいますが…
こういった人間のほとんどはそうじゃない、何かしらの幸運によって努力ま苦もなく与えられた“許し“によって恵まれているだけなんです。
…それがマナです
人助けを許される条件はだいたい…
美貌・仲間・知力・権力・財力・体力・暴力
といったところでしょうか。
…彼女は体力以外の全てをなんの苦も努力もなく手に入れています。
ほとんどの人間はこれらの条件をどうしても勝ち得ることができずに
誰かを助ける権利を与えられません
許されて生きてきた人間以外なら誰もが経験しているのでは無いでしょうか。
“人助け“を悪魔の所業として怨まれ憎まれ怒られ蔑まされ否定され攻撃され避けられ恐れられた事が。
落とし物を拾い届ければ、汚らわしい手で触った事を憎まれ怨まれ
横断歩道を渡れずに困っている人を助けようとすれば悍ましい暴徒として警戒され
電車で席を譲れば変質者として恐れられ
買い過ぎてしまったり、手に入れ過ぎた何かを「よければ貰ってください」と譲ろうとすればそれをきっかけに襲い奪う悪党だと判断され
譲ろうとした物は毒物か汚物として処分される。
もしも迷子になっている子供がいても、その子を助けるという行為は絶対に許されない。
それを“許された人間“以外がやれば醜悪で悍ましい人さらいと判断されたどる末路は言わずもがな。
その子が辛く泣いていても、その子を助けたくてどんなに胸が締め付けられたとしても、
自分の命と引き換えにはできない。
たとえ自分の命と引き換えにしてその子を救いに行ったとしても無意味です。
その子に“悍ましい人さらいに襲われた“という
恐怖の記憶を植え付けるだけです。
ケンカの仲裁もマナのような許された人間以外ならともかく…
一話のような、あんな方法ではおさめることは出来ません万が一出来たとしても、当然出来なくても
遅かれ早かれ殺されます。
比喩とかではなく、殺されるんです。
彼女も3話の回送で、命の危機にひんした事がありましたね
それにやつらにマナの人助けが“許された人間の道楽でしかない“ことも指摘されていました。
…誤解の無いようにしておきますが、
彼らを擁護する気はありません
例えば偽善者とは、善行を行っているように見せ掛けて裏で悪事を働く…という意味の偽善は以っての外ですが、
ほとんどの偽善者とは周囲の目、調和を気にして全体数の多い母集団…善行に混ざって生きていく生き方の事を指します。
上にあげたような個人の特定される善行と違って集団意識に紛れ込むだけなら誰でもできますからね。
このタイプの偽善者を“善意の無い偽善者だ“と罵る人は
何故か“だから悪事を働いてもいいんだ“
というまったくもって理解不能な謎の解釈にいたるのですが、
そんな事は有り得ません。
一目を気にしようが建前であろうが
善行に勝る悪行など存在しないのです。
必要悪に関しても、ようはその悪行がもたらす善への恩恵によって成立している訳で、善行無くして有り得ない物…
まぁ、必要悪は99.9%勘違い独善(独善≒悪)ですが。
そんな訳でやつらは悪にして敵です。
しかしそんな敵によって暴力によって善行は絶たれるのです。
それもまた善行の失墜の一歩です。
(あくまで主要はどんな善行であっても悪意の塊として認識され痛烈な冤罪をきせたれる事ですが)
マナはどうだったでしょうか
先に自分は「絶え間無い努力、屈辱、恥辱の果てに人助けをする権利を勝ち得る者もいる」と言いました。
しかしマナはそうではありませんでした。
マナは屈しました。
そして乗り越える機会も無いまま
アリスによって、
権力と暴力を与えられました。
アリスが暴力も兼ね備えていた事も大きかったですね。
例え強い意志によって屈辱や恥辱を跳ね退けたとしても
アリスがいなければ奴らの暴力によってマナも六花も殺されていたでしょう。
例え命を繋いだとしても、かろうじて生きながらえただけ、
その後は命を繋ぐために善行という行いは封印されていきます
…こりずに再び善行に走れば今度こそ殺されて終わりですしね。
何はともあれマナは幸運にもアリスが友達になってもいいという立場を事前に手に入れていたことで…マナは暴力と権力と財力を手に入れたのです。
アリスがそれ以来暴力を封印したとしても、アリスの所有する暴力は、当然権力も絶対にその匂いはあの町には残っていますからね。
そして六花です。
アリスと友達になってもいい権利を事前に手に入れる事が出来たのは六花がいたからです。
それも、これまた運よくたまたま六花が引っ越して、たまたま友達になったという“与えられた“理由で。
始めにボクはマナの“人助けは浅い“と言いました、
だってそうでしょう
十数話見てきたけれど、
マナは笑っちゃうくらい全っっ然自分の身を削ってないんですもの。
マナのあれ程の活躍が対価もなけできるのでしょうか…
…その対価を払ってるのはいつだって六花でした。
そんな六花も相当な血筋に支えられたチートさんですが、
それでもマナと比べて損な役、苦労、努力が見えました。
…まぁ、チートですが。
正直見ていて…
マナは自分のやりたい人助けばかりをして脚光を浴びて…
そのしわ寄せを六花が…割と勝手に請け負っています。
その安心がなければマナにあれ程の活躍はできないでしょう。
もちろんその、しわ寄せがなければ人助けはできない…というのは苦労するのが面倒くさい…なんて話では無いですよ。
その人の“護りたい掛け替えのない誰か“を助けるのには、その人数には限界があるのです。
自堕落ではなくキャパシティの問題なのです。
マナがそのキャパシティを得るために身を削っているのが六花なんです。
…チートですが。
こうしてマナは生れつき美貌を、運だけで六花をそれにともないアリスを、つまりは仲間を…この仲間達によってマナは努力すること無く知力・権力・財力・暴力を手に入れました。
さらにはまこぴーやプリキュアという非現実的事実までも
唯一努力の可能性のあるのは体力…類い稀すぎる身体能力だけですね。
…正直、相当努力の域を越えていますが。
“幸せの王子“マナは自分の身体についた金や宝石を引きはがしてはいません。
運によって手に入れたアリスをはじめとする仲間達によって自身の身体とは別の金や宝石を
六花というツバメに運ばせて
彼女自身は金と宝石に彩られたまま今もこれからも神々しく立っています。
自分は、例えば『けいおん!』が大好きです。
そして彼女達がとんでもなく幸運で、与えられて許されて、ただただ得んして、
余りにも恵まれすぎた環境で生きている事を知っているつもりです。
それでも我慢してきました。
しかし…マナは…“人徳“というそれ以上の…
…あまりにも、あまりにも逸脱の過ぎた物をいくらなんでも与えられ過ぎていると思うのです。
救いなのは、今までの話を見るに
マナには“自分がひたすらに与えられ、許されている“事を自覚しているように感じられる点です。
そして今日はレジマナ回ですね!
自分を構成するものが…そこにジコチューがあることが、
レジーナの正体が何者であれ…
その匂いを嗅ぎ付けてレジーナはマナを気に入ったのではないでしょうか。
その辺はこれから見えてくるでしょうかね。
そのあたりを楽しみに見させていただきます。
もちろんレジマナりつのハイパーマナハーレムも超! 超っ! 超っっ!
超楽しみですよ~~~!!♪☆(≧∇≦)☆♪
[0回]
PR